いもぐい

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『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ(2015)』

最近結婚というものの限界をよく考えている。 

マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ [DVD]

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  • 発売日: 2017/08/02
  • メディア: DVD
 

 というのも、私の身近な母と叔母が共に幸せとは言えない結婚生活をしているから。
もちろん、部分的には幸せなのだけど、全体的には、つまり細部を見ていくと完璧どころかウンザリするようなものがいっぱいその関係性に詰まっているから。

共に原因は妻側の成長と変化に対して、変わらぬ夫が悪いという2人の間でのズレである。
傍から見ていると、私にとっては母と叔母、つまり変化した側の変化というのは時代に沿ったもので、決して彼女たち自身の中に理由があって変化したものでは無い。外的環境や時代によって必要とされたから変わったのであって、彼女たちは確かにその変化をエンジョイしているのだけれど、同じくらい大変なこともあったのだから望んだものではなかったはずだ。
それに対して夫側、つまり父と叔父の変わらなさは、ものすごく呑気で自分勝手に見える。なんなら、結婚してパートナー及び家族、子供を持っているにしては幼すぎるようにさえ思える。
つまり、自分の母や父などと築く受動的な家族関係ではなくて、自分が妻や夫と主体となって築くべき家族関係の中ではあまりに無責任すぎる態度で全く不十分だろうと思うようなもの。

結婚というのは長いスパンで考えられる関係性の作り方で、変わることは大なり小なりあるだろうし、それが両者の間でズレや齟齬が生まれ始めると容易に破綻しかねないだろう。もちろん片方のみの変化に対して変化していない側がそれを置いても相手を変わらず愛し続けられるとか、お互いが愛とか興味を超えて関係を続けるとか、いろんな存続のしようはあるのだろうけど、結婚というものがどれほどの薄氷の上に根差している制度なのかと考えると恐ろしくなる。

人間というものは、変化していくものだし、それが生きるために必要であったり時代に即したものにリニューされていくなら素晴らしいものだと思う。人間の価値だと思っている。でも同時に変化を恐れる感情も人間には内在していて、それが前者の良い変化を阻害することが往々あり、結婚でも当然それが起こる可能性を考えておかなければいけない。まあ結婚においてそれが起きるとかなりの割合で悪関係になるに違いなく、まさしくそれが私が結婚を恐れ、かつ疑問を持っている理由である。

要するに、変わりやすい人間は結婚に向かないのではないか、と。もしくは自分と同じくらい変わりやすい人間をパートナーに選ぶべきだろう。
変わりやすいというのはもちろん恋愛感情が、の話ではなくて、価値観だったり趣味だったりの話だ。恋愛感情が変わりやすい人はそもそも結婚をすべきではないので。
まあそういうわけで私自身は結婚を望むのであればよっぽど自分に似た人を探すべきで、それができなければすべきでないと思っているのだけど、私のコミュ力では今のところ私に似た人が探せていない。私のパーソナリティーがレアということが言いたいのではなくて、私の探査能力と人間関係の構築能力の下手さを嘆いている。どうして私程度の他人が探せないのか、と。

 

『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』はファッキンラブストーリーだと思う。公式サイトでは『NYに暮す男女3人の、ちょっと”こじれた”三角関係を軽やかに描いたハートフル・コメディ.』と書いてあるけれども、この作品は少なくともハートフルではない。

映画『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』公式サイト

コメディであることは確かだけれども、人間の身勝手さと愚かさを嗤う心が根底にあるコメディだ。タッチや映像や音楽はポップだけれども、描いているものはものすごくシリアスでどちらかというとブラックジョーク的ですらあると思う。

 前半ではもうイーサン・ホークにやられっぱなしだった。ジョンの妻、ジョーゼットの冷徹さというのか我儘っぷりに虐げられる彼が可愛そうで、マギーと彼を応援していたし、ジョンがカギを無くしてマギーの家に転がり込んでくるシーンは胸キュンが止まらなかった。

あの、あのジョンがマギーの前でひざまずくシーン!たまりませんよね。ひざまずくと言ってもいわゆる往年の童話的な白馬に乗ったキラキラ王子様にプロポーズを請われるときにされるやつじゃなくて、もっとめちゃくちゃに人間臭いやつ。懇願に近く、あんまりにも弱弱しいもんだから、された相手に有無を言わせないそれ。サイコーーーーー……。

物語が進むにつれて分かっていくジョンの身勝手さとマギーの献身癖、ジョーゼットの強かなだけじゃない弱さなどが全て”それっぽくて”=フィクショナルじゃない妙なリアルさを持っているせいで、巻き込まれている子どもたち3人とか、マギーの学生(クミコ!がんばれ!)が不憫でしょうがなくなっていく。

 

本当に結婚という制度は、人間の変化というものの上に腰を置いている不安定な制度で、その割に結婚というものが与える他者への影響というものが大きすぎますよね。特に子どもというのは、まあ大人の我儘・身勝手さに影響されざるをえない立場で、それを大人がしっかり認識せねばなと。謎の使命感というのか責任感を抱きましたよね。

マギーとジョーゼットの計画がジョンにバレ、子ども達3人を番の後部席に乗せて、死んだ顔で前方席に座る大人たちのシーン。子ども用の音楽が流れているけれども、どっちが子どもなんだかと言いたげでとても良かったです。

そのシーンの前にマギーとジョーゼットの話し合いを、ジョーゼットの子どものポールが聞いてしまうんですよね。それで顛末をごまかしつつ語る2人に対して「考えがなさすぎる。計画性ゼロ」って言うところ。まさにそれで、与えてしまう影響力の大きさを考えずに行動する成人たちとそれに振り回される子どもたち、そして自分が当初予想していた人生ルートから外れることを求めたマギーが、結局運命か何かで元のルートに戻る皮肉等々、なかなか盛沢山だったと思います。まとめは、よく考えてから結婚しよう、でよろしくお願いします。

私は恋愛が続かないけれど経済的にも自立できているから子どもが欲しい、なので精子だけくださいのスタンスだったマギーが好きだし、それが許される世界は良いなって思っています。