『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018)
目が痛くなる&スパイディ多すぎ。
「ここまでこねくり回した映像で1本撮っても、映画として成立しちゃうんだぞ」っていうかなり意欲的で実験的な作品なんだけど、
結果ちゃんと第91回アカデミー賞で長編アニメ映画賞をちゃんと受賞している実力作なので、挑戦がきれいにクリティカルヒットしましたよ的な気持ちよさがある作品だと思います。
アニメ映画のチャレンジのひとつの到達点として、確認しておいてもいいと思う。
【映像】
バーチャルっぽいMVをずっと見てる感じの映像がずっと続くっていうのが1番わかりやすいと思う。
それぐらいの情報量がある映像が2時間近く続くので、疲れてる時には観ないほうがいい。
特に眼精疲労がある時なんか絶対無理だと思う。長めの休憩を途中何度か取った。
原色づかいが激しく、かつマンガ的な光の描写だったり、
効果音・強調線の描き方(POW!とかSMACK!とか)がパキパキしてて、疲れるけど面白い。
そういうところも含め、かなり意欲的だけど、それ故に盛り込みすぎなところはある。これはストーリーにも言えます。
【ストーリー】
「別次元からスパイディが5人も来ちゃった~?!」って、ファンフィクでやりそうなことじゃん。
それをオフィシャルがめちゃめちゃな技術力をもって腕力で実現させたったみたいなことなのでスカッとするし、同時にうまいことやったな~~と思う。これでもかが過ぎる。
それにしても、マルチバース(多元宇宙モノ)、完全なる流行りだよね。もはやマーベルだけのことじゃなくなってないか?
現実世界でもスピ系なんかだと最近はよく5次元云々はよく聞くし、やっぱり現実においての人間の興味が反映されているんだろうな。
私も興味があるので多次元モノって聞くと観ちゃうし。
高次元にいけば救われるとか、別次元から来た人間(生命体)が救ってくれるとか、結局世界がめちゃくちゃなので助けてほしい気持ちが反映されているんだろう。
それにしても、今回はもうほぼほぼCERN(セルン/サーン)のLHCの話だったね。
※CERNについてはこちらが詳しいのでぜひ。
ピーター・パーカー(マイルスがいる次元での初代スパイダーマン)が冒頭、『次元を結合するな、ブラックホールができるぞ!』って警告してるのは故ホーキング博士が生前言ってたことモロじゃんね……
今作では私怨がきっかけだけど、現実では全人類の我侭で次元をねじまげようとしてる訳だから、
フィクションより現実の方がタチが悪いっていうのも、まさに事実は小説よりも奇なりって感じで良かったです。
でもスパイディがな、ちょっと多いんだよな。
7人はさすがに多い。
各キャラにコミックの原作があるのは分かってる。
だから容易に変更などできないのも理解してる。
けど、あくまで映画という作品にするにあたって無理を承知で妄想するとしたら、の体でここからは読んでほしいんだけど、
個人的にはこの3人で済ませてもよかったくらいだった。
特にペニー・パーカー&SP//drコンビとピーター・ポーカーは、分かるんだけどクドい。画面の主張が強すぎる。
平面的なビジュアル要素(ピーター・ポーカー)とアジア的要素(ペニー)を入れたかったのかなと思って観てたけど、
前者は、派手な色味はないもののスパイダーマン・ノワールで事足りているし、後者を求めるならグウェンのキャラ設定として紐付けすればよかったんじゃないか。
マーベルがアジア人・アジア文化に目を向けているのは『シャンチー』の制作決定からもよく分かるので、
そこへの配慮がしたくてペニーを登場させたのであれば、画面の構成上やっぱりグウェンとして登場させたらよかったんじゃないかな~。
そもそもセーラー服でロボが相棒っていうのが、あまりにも典型的なジャパニメーションのイメージって感じで、あんまりいい気がしなかった。ちょっとわざとらしすぎ。
対してグウェンのパーカー風コスチュームは媚びてなくて可愛い。
映画コスプレする時なんて、かなり良いんじゃないかと思う。
以上妄想終わり。
それにしても『スパイダーマン:ホームカミング』からはじまったスパイディの若年化は、やっぱり革命だと思う。
今作もかなり若め、というより幼めなんだけど、
そもそもスパイダーマンのコスチュームや動き方って、小柄な体としっくりくるんだよな。
それこそソーとかアクアマンみたいにゴリゴリの体をしてパワープレイで物言わすみたいな戦い方でない、ひらりひらりとした戦い方なので、
170cmもないような低めの身長で薄い体をした子がする軽やかな戦い方が、すごく華麗でグッとくる。美しい。
そこに若さゆえの不安定さや儚さがあって、切なくなるあの感じ。
若者が己の力を振り絞って世界を救おうと奮闘するがむしゃらさは、観ててほんとに切なくて、応援したくなる。
「おまえはそうそう死ななそうじゃん」っていう典型的ないかにもなヒーローたちよりも、よっぽど応援できてしまうな……と思った。母性か?
鬼滅の刃が流行っているのも、似た構図があるのかもしれない。
個人的には全く同じ理由で鬼滅は最近読み切っちゃったわけ。
炭治郎たちがまだ15歳とかなのにめっちゃ頑張るから泣くわけじゃないですか、あれって。
世界は幼さ寄りの若者に依存している(夢を託しすぎな)部分はあるかもしれませんね。大人、しっかりしろ。
ところで普段映画は字幕で観るタイプなもんで、相当久々に吹き替えで映画を観たんだけどとても良かった。
映像に集中したかったから吹き替えで観たんだけど、メタっぽい発言もありつつ、台詞回しが相当にセンスある。
字幕だと、字数やスピード的に原文セリフに含まれてるすべての要素には追いつけないと思うので、本作は吹き替え版で観るのがおすすめ。
でも耳が馬鹿なので、ピーター・B・パーカー役を小野賢章がしてると思ってたのね。
小野賢章はマイルスの声をやってるんだけど、あんな幼い声出せるんだって思ってなくて、びっくりしました。
【アドリブ昔話】声優 花江夏樹 小野賢章 江口拓也 の うろおぼえ『さるかに合戦』【ダミヘ使用】
こういう印象しかないもんな。声優はすごい。